論文の書き方

Wednesday, Oct 28, 2020| Tags: links, writing

論文の書き方リンク集


ここに書いた内容は ごくごくうちわ向けの論文用文章講座 からそのまま移しました。

予測と推測

先行研究の結果に対して独自の解釈を加えようとする部分や,『考察』の部分で, 「○○の原因は,××ではないかと予測される」という使い方がよく見られるが,「予測される」は, これから起こることに対して用いる言葉。 だから,すでに現在ある問題の分析には「予測」は適さない。 この場合は「推測される/考えられる」を用いる。 「予測される」は,これから行う(=まだ実際には行われていない)実験の結果について述べるときに使う。


感じられる/思われる/考えられる

「感じられる」はきわめて情緒的・主観的な用語で,客観的な論文には適さない。

「思われる」もかなり主観的だが,論述に根拠が薄く,あまり自信がない場合にはけっこう使われている。けっしてお薦めではないが,そういう意味を込めて使うぶんには,許される範囲だろう。

これらの中では,「考えられる」がもっとも客観的な言葉。もちろん,「である」と断定できるのが最高だが,筆者の推測や分析を述べるときには,「考えられる」が望ましい。もちろんこれは,何でも「考えられる」と言いなさいということではけっしてなく,論述の内容が,「考えられる」と言えるレベルまで十分吟味されたものであることが前提となる。


研究によれば

心理学で「研究」と言えば,ふつう実験研究をさす。したがって,「研究によれば」という場合は,実験の結果,その主張・仮説が確認されたということを意味している。単にその人が主張しているだけ,推測を述べただけという場合は,「研究によれば」は使えない。「~と述べている」などの表現にとどめる。


~としている/~と述べている

前項とはまったく逆のケース。

先行研究に言及するとき,きちんと実験・調査研究にもとづいて出した結論に言及するのに,「実験群のほうが学習効果が高かったとしている」というような表現をしている人がいるが,これはおかしい。「としている」,「と述べている」は,その人の解釈や主張に言及するときの表現。実験の結果,有意差が明確に得られているのであれば,「実験群のほうが学習効果が高かった」,「~の効果を実証した」と言い切るべきだ。

心理学では,だれが何を述べようが関係ない。その主張が実証されているかどうかがだいじ。どんなに高名な心理学者が述べていようと,実証的な根拠がなければ,引用する価値はほとんどない。「~と述べている」というのは,そうした根拠なしに主張している(または実証データが確認できない)場合の書き方である。「~としている」というのはもっとひどくて,これはなんだか無理やり解釈をこじつけて主張しているようなニュアンスがある。使わない方がよい。

ちなみに,信憑性の高い順に並べてみると,

~であることを実験的に確かめた/~を明らかにした

信憑性高 実験・調査で,はっきりと有意差が出ているときの表現。とくにその結果を強調したいときの装飾的表現なので,多用は避ける。

実験の結果,~であった

信憑性高 これも有意差が見られているときの表現。とくに装飾的な言い回しを使わなくても,たんに事実を記述しただけでじゅうぶん信憑性は高い。この表現をメインに考えるとよい。

~であることを示唆している

信憑性中 実験結果からは直接言えないが,他の状況にあてはめてみるとこんなふうにも言えるだろうとか,有意差には至らなかったが,平均値では,言いたい方向での差が見られる,というようなときの表現。原著者が,考察などで研究結果を発展的に解釈している内容について言及するときに使う。

~と述べている

信憑性低 実験結果にもとづかず,原著者が自分の主張を述べているのを引用するときに限って使う。引用価値は一気に下がる。

~としている

信憑性最低この表現は,一般的な解釈とちがって原著者独特の解釈をしているようなニュアンスがある。使わない方がいい。 文末表現によって,信憑性が決定的にちがってくる。その主張がたんなる個人的意見でしかないのか,それともきちんと確認されている事実なのか,しっかり見きわめて,それに応じた表記をしよう。


~とされている

「~と述べている」,「~としている」は,いずれも「中山(2006)は,~と述べている」というように,いちおう対応する主語が明記されている。つまり,誰がそれを言っているのかを,読者は知ることができる。しかし,「~とされている」はそれさえなく,論拠がきわめて曖昧だ。新聞記事などではよく見かける表現だが,論文としては不適格である。

たとえば,「現代の青年はコミュニケーション能力に乏しいとされている」。見てわかるように,誰がこれを言っているのか,何を根拠として言っているのか,さっぱりわからない。そのくせ,受身形が使われているせいで,微妙に客観的っぽい表現になってしまっているところが,いやらしい。実態はきわめて曖昧な表現なので,使うべきではない。もちろん,言葉として使わないだけでなく,ちゃんと論拠を確認した上で,もっと明確な表現を用いるべきだ。

結果が出た

これはちょっと,占い師が「こんなん出ました」と言っているみたいなので,やめましょう。(^-^)


「処遇」という言葉

「処遇を与えた」という言い方は,いかにもタカビー(死語 ^_^;)な言い方なので,やめましょう。

また「処遇」という言葉そのものも,あまりいい言葉ではない。きわめて一般的な表現で,中身がわかりにくいからだ。どういう処遇を行ったのか,各実験に応じてもっと具体的な言葉を使って書くのが望ましい。たとえば,「第2セッションにおいて,各群ごとに異なるフィードバックを行った」というように。

用語にやたらとカギカッコをつけない

一般の用語にカギカッコをつけるのは,それが一般的な意味とは異なる特別な意味で使われる場合,あるいは特に強調して述べたい場合だ。次の例を見てみよう。

  1. 彼の言っていることは正論だ。

  2. 彼の言っていることは「正論」だ。

2 つのちがいがわかるだろうか。2.の言い方は,彼の言っていることはたしかに正しいのかもしれないが,現実的ではないとか自分は賛同しないというように,ちょっとはすに構えた言い方なのだ。

だから,何でもかんでもカギカッコをつけると,それぞれの言葉の意味がぐちゃぐちゃになってしまう。当然,文全体としてもボツボツ途切れてしまうので意味がとれなくなる。カギカッコは必要最低限にとどめる。


「明らかになった」「認められた」をやたらと使わない

ひとつひとつの結果を説明するのに,いちいち「実験群の方が統制群より○○であることが明らかになった」などと書くのはやめよう。「明らかになった」とか「認められた」といった装飾語は,大きな結論を強調して主張するための“飾り言葉”であり,何度もこの言葉を使ってしまうと,さっぱりインパクトがなくなってしまう。ここぞというときのためにとっておこう。

「結果」は淡々と事実を書くところだ。だから,結果の記述には,よけいな“飾り言葉”はいらない。「実験群の方が統制群より○○であった」で十分だ。個々の結果を全部まとめて,最終的に自分の研究意図が実証され,支持されたとき,はじめて「明らかになった」「確認された」と,おもいっきり主張しよう。

「示唆している」ってどういう意味?

「示唆している」「示唆された」という表現を,「示している」と混同しているように見える論文によくであう。たとえば,「結果」の記述の中で,統計的検定の結果有意であったことを説明したあとで,「このことは,A群がB群より○○が高い傾向にあることを示唆している」というようなケースだ。

しかし,「示唆している」というのは,政治家の発言に関する報道でよく使われているように,直接言葉に表して言ってはいないが,言外にこういう意図を持って発言している,ということであり,話し手の言外の意図を,聞き手が想像力をふくらませて汲み取っているということである。実験論文でいえば,実験結果からは直接言えないが,他の状況にあてはめてみるとこんなふうにも言えるだろうとか,実験結果を拡大解釈すれば,一般的傾向としてこんなことが言えそうだ,という発展的な主張が「示唆」である。主張の根拠としては,推測が入るぶんランクが落ちる表現なのだ。

だから,きちんと有意差が出ている「事実」を説明するのに,「示唆する」は明らかにおかしい。示唆しかできないような研究は,そもそも測定したいものをストレートに測っていない,ということになるからだ。有意な結果を説明するのなら,「認められた」「示された」「確かめられた」「明らかになった」など,確認された事実であることを明確に伝える用語を使おう。

参考までに,次のような例では「示唆」でOK。

  • 実験の結果,A群とB群との間には有意差が認められなかった。このことは,学校場面においても,教師の○○の働きかけが児童に効果的に作用しにくいことを示唆しているであろう。(実験結果を学校場面に適用)

  • 実験の結果,有意差が得られたのは一部の指標だけであったが,中学生が小学生より,全般的に○○の次元に注目していることを示唆している。(実験結果を一般化)

「~としている/~と述べている」


誰それの研究を待つまでもなく…

 ほんとうに「待つまでもない」のなら,これ自体書く必要がない。これはただの飾り言葉でしかなく,「ボクはこの誰それの研究を知ってるんだゾ」という自慢にしか聞こえない。冗長。


相関係数に「有意差」が認められた

 統計のパッケージソフトを使っていると,相関係数に有意確率の数値がくっついてくる場合がある。それを表現するときに,「有意差」が認められたと記述している人を見かけるが,これはふつう有意差とは言わない。この場合の有意水準は,その相関係数が0でないと言えるかどうかの有意性である。有意差というと,2つの相関係数の差と混同してしまう。だからこの場合は,「有意な相関が見られた」とか「相関が有意であった」と書く。


「有意な相関係数」の意味

 相関係数の有意水準は,「相関が0ではない」ということの確からしさを保証するものであって,相関係数の高さ自体を保証しているわけではない。データが多ければ低い相関でも有意になるのだ。自由度1000のときを例にとると,p=.05の有意水準に対応するのがr=.062。.1にも満たない相関でも有意になってしまう。説明率になおせば,たった1%も説明できていないことになる。

 有意な相関が得られたからといって,高い関連があるかのように錯覚してはいけない。相関係数を考察するときは,有意であったかどうかだけではなく,相関係数の数字そのものを吟味する必要がある。


「因子得点」は特殊用語

 因子分析で得られた各因子ごとに項目の合計得点を求めたものを,「○○因子得点」と称している論文をたまに見かけるが,これは誤り。

 因子得点というのは,因子分析の結果から統計的に算出される特別な意味を持つ得点のことなので,ただの項目合計や平均値のことを「因子得点」と呼んではいけない。使うなら「尺度得点・下位尺度得点」を使おう(もちろん,合計か平均か,算出方法をちゃんと記述したうえで)。

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